【!】芸術総監督・首席指揮者の鄭小瑛さんが急性肺炎のため入院、来日できなくなったため公演が中止となりました。→詳細はこちら
中国唯一の民営オーケストラ。1998年厦門(あもい)の音楽文化を充実させるため、企業と個人の寄付による民営組織のオーケストラとして誕生。公営ではできない自由な活動を行っている。定期公演を中心としており、毎週金曜日に定例コンサートを開催している。対岸の台湾公演のほか、ヨーロッパやアメリカにもツアー、厦門(あもい)の文化使節として評価が高い。ソリストには、李傳韻(リー・チャンユン)。2002年「アジア オーケストラ ウィーク」での超絶技巧が鮮烈な印象を残している。8年を経て、どんな演奏を聴かせてくれるだろうか
- 副芸術監督。上海音楽院で作曲と指揮を学び、ドイツに留学。さらにコリン・デイヴィスやクラウス・ペーターフロールに師事。
ベルリン響やベルリン・フィルほかを指揮、上海音楽院准教授として後進の指導にもあたっている。
- 芸術監督。中央音楽院で作曲を学び、モスクワ音楽院大学院に留学、ロジェストヴェンスキーに師事して指揮法を学び中国初の女性指揮者となる。文革終結後、中央歌劇院で多くのオペラやコンサートを指揮、聴衆から喝采された。厦門(あもい)フィルとヨーロッパやアメリカ公演を行い大成功に導いた。
- 5歳で「北京青少年コンクール」第2位、11歳で「ヴィニャフスキ・コンクール青少年部門」に優勝。その後ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイとイツァーク・パールマンに学ぶ。映画「北京ヴァイオリン」の音楽を演奏し、映画ファンの間でも人気を博す。以来、世界中のメジャー・オケのソリストに引っ張り凧だ。
日本とトルコ、両国の友好が深まるきっかけとなった「エルトゥールル号事件」より120年の節目を記念して風格高きオーケストラが来日する。首都アンカラに本拠地を置き、創立はベートヴェンが亡くなる前年の1826年。以来180余年の歴史を誇る。アンサンブル能力はきわめて高く、各国で行われた海外公演でも、評価が高い。これまで、世界の名指揮者たちを客演に招き、演奏技術の向上に努めている。
- 芸術監督・主席指揮者。トルコ国立オペラ・バレエ総局長も兼任するトルコ楽壇の実力者。9歳でアンカラ国立音楽院に入学。その後トルコ政府給費留学生としてローマに留学。「ジノ・マリヌッツィ国際青年指揮者コンクール」で優勝。その後の輝かしい活躍により、トルコ大統領文化芸術大賞を受賞。「トルコにおける日本年」のトルコ側委員会の主要メンバー。昨年、国際交流基金の招きにより来日し、芸術関係者と意見交換を行うなどトルコの芸術文化の発展を担う重鎮である。
- トルコを代表するピアニストのひとり。
イスタンブール音楽院とパリ音楽院で勉強。「ロン・ティボー国際コンクール」や「カナダ国際ピアノ・コンクール」に入賞。
以来、各著名国際音楽祭に招待され、高い評価を得ている。トルコ政府から「国家芸術家」の称号を得ている。
※ピアノ奏者ヴァーダ・アーマンさんは、急病のため来日できなくなりました。代わって、ソリストには清水和音さんにご出演いただくことになりました。→清水和音さんのプロフィールはこちら
韓国南西部、全羅南道に位置する光州(クァンジュ)広域市は、親羅、高句麗の時代から日本との関係が深い。また、ちょうど30年前に起きた光州事件から韓国内の民主化運動の聖地としても知られている。現在、芸術、人権、平和都市として、「アジアの文化のハブ都市」を目指しており、光州交響楽団はその重責を果たしている。同楽団は1969年に設立、定期公演や特別公演を中心に、また韓国の一流オーケストラが集う「ソウル・オーケストラ・フェスティヴァル」にも何度となく出演してきた。現在のマエストロ・クが音楽監督に就任してからアンサンブル能力が飛躍的に高まり、その演奏は聴衆の心を深く感動させるようになった。
- 音楽監督。ドイツのマンハイムで学ぶ。マンハイム、ハーゲン、ダルムシュタットの各歌劇場で活躍した後、韓国人指揮者として初めてハノーファー州立歌劇場首席指揮者に抜擢された。チョン・ミョンフンの次の世代の指揮者としてヨーロッパを中心に活躍する実力派。ベルリン・フィルにも招かれている。
- 韓国出身の注目ヴァイオリン奏者。マンハイムに生まれ、4歳でマンハイム音楽学校に入学、5歳でハンブルク交響楽団と協演してデビュー。その後ジュリアード音楽院、ベルリンのアイスラー音楽学校でも学ぶ。現在、ソウルの韓国国立芸術大学で一層の研鑽を積んでいる。「ハノーファー国際ヴァイオリン・コンクール」や「ソウル国際ヴァイオリン・コンクール」など世界的なコンクールで優秀な成績を収め、この6月の「第4回仙台国際音楽コンクール」で優勝した。