オーケストラを誰に聴いてもらうか
~外山雄三さんが名古屋で問うたこと~
「あんた、名フィルの指揮者でしょう。大変な赤字経営だそうで…」。今年7月に亡くなった指揮者、作曲家の外山雄三さんは1981年に名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督兼常任指揮者に就任してすぐの頃、乗ったタクシーで運転手からそう言われたのだそうだ。さらに「これでお茶でも飲んで、たまには休みを」と100円玉3枚をもらい、感激した外山さんはこの経験を忘れずに6年の任期を務めたと、中日新聞社が発行する『中日スポーツ』のインタビューに答えている。
当時の紙面をめくると、外山さんはナゴヤ球場のスタンドで楽員と一緒に演奏して試合を応援したり、中日ドラゴンズの近藤貞雄監督と対談したりと、意外な側面を伝える記事が頻繁に掲載されている。名フィルの動向を伝える定期的な記者のコラムもあり、それらが一般紙の中日新聞ではなく、スポーツ紙に掲載されたという点を考えれば、当時の外山さんがこれからどんな人に名フィルを聴いてほしい、知ってほしいと願ったかが何となく伝わってくる。
それから40年が過ぎた現代でも、オーケストラを誰に聴いてもらうかはまったく変わらない課題だと思う。その意味で、今年4月に第6代名フィル音楽監督に就任した川瀬賢太郎さん発案の「こども名曲コンサート」に私はとても興味を持っている。名曲といいながらプログラムに書き下ろしの新作を入れ、年2回のうち1回は音楽監督自らが指揮する力の入れようだ。プログラムはじめ毎回のコンセプトも監督が中心に考えている。
川瀬さんが指揮した今年9月の「こども名曲」は、コンポーザー・イン・レジデンスの小出稚子さんによる委嘱オーケストラ作品「ギロ・ギロ」が世界初演された。視覚的な演出にも凝り、スリリングで飽きさせない曲は、どの世代が聴いても面白かったと思う。今年のBBCプロムスでも別の作品が演奏されたばかりの小出さん自身、子どもたちのための新作を強く希望していたという。YouTube動画で強い刺激に慣れた現代の子どもたちを、アコースティックな音響へと引きつけるためは相当の工夫と知恵を要したそうだ。「こども名曲」は試行錯誤しながら回を重ねていくことで、オーケストラやその作品に対するイメージのアップデートにつながると期待している。
他方、今年の東海地方の音楽界で最大の懸案になっているのは、当地を代表する響きを持つ三井住友海上しらかわホール(700席)が来年2月で閉館してしまうことだ。愛知県立芸大など3大学の学長を発起人とした存続のための署名活動が続いているが、今のところ存続する見通しはない。今年、愛知室内オーケストラが日本オーケストラ連盟準会員となり、東海3県では加盟団体が正会員の名フィル、セントラル愛知交響楽団、準会員の中部フィルハーモニー交響楽団との4団体になったものの、肝心の演奏する場所が減ればそれだけ演奏を市民に届けることは難しくなる。特に愛知室内は2023年度に22回の主催公演をしらかわホールで行う一番の利用団体だから、運営上のダメージは大きい。
多目的ホールが入る日本特殊陶業市民会館(名古屋市民会館)の老朽化による建て替えも控えているが、音楽ホールが新しくできるとは限らない。名古屋市内でオーケストラが演奏できる本格的な音楽ホールは愛知県芸術劇場コンサートホール(1800席)の一択になってしまう可能性が大きく、各楽団とも打つ手がない状況だ。文化庁の文化芸術振興費補助金が今年度大幅にカットされたことと合わせ、地方都市の音楽文化が長期的に衰退してしまわないか心配だ。
首都圏と関西に挟まれた名古屋の人たちは、昔から新幹線の「のぞみ」にしろ、著名アーティストのツアー公演にしろ、「名古屋とばし」をされることに強い警戒心があり、メディアも面白がって報じてきた。ただ、特に近年は外から来る文化を消費することばかりに目が向き、自分たちの宝、誇りとして文化を守り育てることにいまいち光を当ててこなかったと思う。しらかわホールがオープンして30年、国内外の著名音楽家が出演したとはいっても、ホール、演奏場所としての素晴らしさが一部ファンや音楽業界以外に広がらなかったかもしれず、その点はメディアとしての責任を痛感している。
もっともホール不足問題とは別に、もっと他の場所でオーケストラを聴いてみたい、という気持ちを私はずっと持っている。BSで放送されるベルリン・フィルのワルトビューネ・コンサートを視聴していると、老若男女がリラックスして聴いている姿など、客席の風景そのものが美しい。寝そべってフォークトの歌声が聴けるなんて最高だ。
名フィルも近年、依頼を受けて名古屋城や名古屋港といった屋外で演奏したことがあるが、楽器の制約が大きかったこともあってか定着しなかった。日本の気候では難しい面もあるのかもしれない。とはいっても、扉が重い(物理的にも心理的にも)コンサートホールか、デジタル配信か、という二択では、大人の聴衆との新たな出会いは限られるだろう。オーケストラを誰に聴いてもらうのか―。「市民のためのオーケストラ」を目指して外山さんが80年代に奮闘した記憶を継承し、当地でさらに発展することを願っている。
2023年11月30日発行
「日本オーケストラ連盟ニュース vol.112 40 ORCHESTRAS」より