オーケストラの魅力
配信で伝わる?
「リモート」の戸惑いと発見
新型コロナウイルス禍を経て、取材も会議もリモートが定着しつつある。不便さを感じることは数多い。同時に話し始めてしまったり、譲り合って沈黙してしまったり。表情や雰囲気、語気から読み取れる情報は、対面と比べると圧倒的に少ない。言葉を使う仕事でありながら、多くの部分で言葉以外のコミュニケーションに頼っているのだと痛感させられた。
便利さもおおいに感じる。海外にいる人とは、むしろリモート上だからこそ「会おう」と思うことが増えた。やりとりをする際のハードルは、時差ぐらい。海外へ渡航することは難しくなったが、海外の人とコミュニケートする心理的ハードルはかなり下がったような気がする。
やはり直接に会う方が機微を感じたり、伝えたりはしやすいが、リモートならではの面白さもある。相手が自然の中に住んでいる人のときには、鳥の声が聞こえたことも。普段着で、自室で話をしてもらえると、少しだけ親密になったような気がする。プライベートな空間に招き入れてもらったような。リラックスムードだからか、会議室なんかよりも話が弾むようなこともある。
素顔を写し込んだ「リモート合奏」
最初の緊急事態宣言が出された 2020年春ごろ、新日本フィルハーモニー交響楽団メンバーによる「パプリカ」のリモート合奏に、多くの人が胸を打たれた。この動画がユーチューブで公開された直後、楽団には少なくない寄付が寄せられたという。普段、コンサートホールに足を運んだことのない人からの支援も多かったそうだ。
なぜ、多くの人の心を動かしたのだろう。話すのさえ苦労するリモートなのに、合奏ができるプロの技術はもちろん素晴らしい。だが、コンサートホールでオーケストラの音を体中に浴びる体験と比べものにはならない。
バッチリと正装し、ひのき舞台に立つオーケストラプレーヤーの方々は、多くの人にとって縁遠い存在だ。だが動画に映ったプレーヤーは普段着で、おのおのいろんな部屋にいる。趣味が垣間見えたり、子どもが映り込んでいたりも……。動画のコメントを見ても、こうしたところに親近感を覚えた人が多いようだった。誰だって、身近に感じている人が、苦しい中でも頑張っている姿を見ると、応援したくなる。
新日本フィルハーモニー交響楽団:リモート演奏「パプリカ」(YouTube)
ショパン国際ピアノコンクールのドキュメントが教えてくれたこと
この 10 月に本選が開催されたショパン国際ピアノコンクールは、配信を通じて世界中の人がコンテスタントたちを応援した。高画質・高音質で最高峰の演奏が聴けることは、大変魅力的だった。さらに、ステージに上がる直前の緊張した姿に固唾を呑み、演奏後の安堵の表情を見て一緒にホッとした。審査員や聴衆、そして自分自身とショパンに対峙する若者たちのドキュメンタリーとしても、一級品だった。
コロナ禍で、音楽を含めてたくさんの舞台芸術が動画配信に取り組むようになっている。配信に対する国や自治体が助成も後押しとなった。緊急事態宣言が何度も発出され、家に閉じこもって映像作品を楽しむ機会は格段に増えた。舞台芸術における動画配信の活用は、コロナ禍の急場しのぎにとどまらず、コロナ後にも一定定着するだろう。
ただ、動画コンテンツは世の中にあふれている。名作映画などが簡単に見られるだけでなく、ドラマやドキュメンタリーでは劇場公開を前提としない作品でも、良質な作品が増えた。ライバルは多い。
オケのプレーヤーの素顔や舞台裏も
クラシックの場合、生の音楽の素晴らしさ故に動画コンテンツとしてのハンディは大きい。だからこそ、生の音楽に価値があるともいえるが。一コンテンツとしての付加価値をかんがえるとすれば、演奏を発信するだけでなく、音楽家の素顔や舞台裏がチラリとのぞけるような発信があれば、そして楽屋オチで興ざめにならない程度であれば、魅力は高まるのではないかと思う。
指揮者やソロとして活動する音楽家だと、SNS(交流サイト)を使った発信がずいぶん増えている気がする。オーケストラでも、プレーヤー一人ひとりのことが知りたい。個人的にも、演奏会に足を運んでいると、わざわざ聞かないけれども気になるようなことはたくさんある。例えば、演奏が終わった後に、奏者同士で譜面を指して言葉を交わしていると「何を話しているんだろう」と、とても気になってしまう。指揮者や評論家によるプレトークやアフタートークは多少あったりもするが、プロ野球のヒーローインタビューのようなものがあっても面白いのではないかとかんがえている。
「日本オーケストラ連盟ニュース vol.106 38 ORCHESTRAS」より
〇前号、「オーケストラにとって配信に可能性は?」ではオーケストラ事務局や楽団員の方に配信についてインタビューをしています。
こちらもぜひご覧ください。
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