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コロナ禍の欧州オーケストラ界を振り返る 2021年10月

パリより

音楽評論家 クリスティアン・メルラン
コロナ禍の欧州オーケストラ界を振り返る 2021年10月 パリより   音楽評論家 クリスティアン・メルラン | オケ連ニュース | 公益社団法人 日本オーケストラ連盟

 2020年3月――ヨーロッパ諸国のほとんどが文化施設の閉鎖に踏み切った。あわせてフランスは、厳しい外出禁止令を発令し、生活必需品の買い物に移動許可証の提示を義務づけた。この前代未聞の状況のさなかに音楽愛好家たちを何よりも困惑させたのは、静まり返ったコンサートホールだった。経済面では、ヨーロッパ大陸諸国よりも英国のオーケストラ界のほうが、より深刻な影響を受けている。じっさい、ヨーロッパ大陸の多くの楽団は、国ないし地方自治体からの公的な助成金や、各国政府による一時的失業者むけの大がかりな給付政策によって、急場をしのいだ。しかしロンドンの主要オーケストラは、もともと「働かざるもの食うべからず」を実践する独立採算・自主運営の組織であることから、かなり早い段階で存続が危ぶまれた。サイモン・ラトルら著名な演奏家たちは、メディアに警鐘を鳴らした。欧州連合(EU)離脱のあおりで苦境に立っていた英国の楽団が、新型コロナウイルス感染拡大後に政府から十分な資金援助を受けられず、さらなる窮地に陥っていると訴えたのである。

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 各国がロックダウン(都市封鎖)を実施すると、ヨーロッパのオーケストラはすぐさまインターネットを駆使した。各自の家で演奏する楽員たちの様子を、無数に分割された画面に一斉に映し出して動画を配信する手法が出回り、とりわけロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲第9番の演奏動画は、多くの人々の胸を打った。ステイホーム中のフランス国立管弦楽団の楽員たちも、ネット上でラヴェル《ボレロ》の合奏を成功させている。

 2020年5月1日、新型コロナウイルスの感染拡大後はじめて、欧州のオーケストラがコンサートホールに帰ってきた。キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が、ベルリン・フィルハーモニー・ホールにて、無観客および小編成(室内アンサンブル)で「ヨーロッパ・コンサート Europakonzert」を開催したのだ。この公演は生中継・生配信され、筆舌に尽くしがたい感動を呼び起こした。5 月27日にはフィルハーモニー・ド・パリで、パリ管弦楽団のコンサートマスター、フィリップ・アイシュを中心に、少数の楽員たちが室内楽コンサートを開いた。奏者間の距離に応じた感染リスクを検証する科学的な調査がおこなわれたのもこの時期で、その結果、フランスのオーケストラでは弦楽器奏者に1メートル(ドイツでは1.5メートル)、管楽器奏者に1.5メートル(ドイツでは2メートル)のソーシャルディスタンスが求められることになった。6月には公共放送局ラジオ・フランスが、局内のオーディトリウム(音楽堂)と設備を活用して、同局が運営する二楽団、フランス国立管弦楽団とフランス放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏を、ケント・ナガノ、ダニエル・ハーディング、フランソワ・グザヴィエ=ロトらの指揮で収録・配信した。ただし、管楽器の飛沫の飛散に関しては安全性が不確かであるとして、両団とも弦・打楽器からなる小編成で演奏にのぞんだ。

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 2020年夏の国際音楽祭は軒並み中止された。例外的に開催までこぎつけたザルツブルク音楽祭は、出演者たちにウイルス検査と移動後の自主隔離を義務づけるなど衛生管理を徹底し、大規模な音楽イベント開催の先鞭を着けることになった。この年のザルツブルク音楽祭では、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が通常の編成で、楽員間のソーシャルディスタンス無しに《エレクトラ》を演奏している。同年9月・10月には各地のホールが営業を再開したものの、11月から翌2021年5月・6月まで、再び閉鎖を余儀なくされた。ただしこの期間中、オーケストラが無観客で演奏することは許可されていたため、いずれの楽団もすばやく行動を起こし、公演の動画配信や収録の回数を増やした。ラジオ・フランスやドイツ各地の放送局も積極的に演奏会を放送し、公的サービスの充実に努めた。いっぽうフィルハーモニー・ド・パリは、動画配信プラットフォーム「フィルハーモニー・ライヴ Philharmonie Live」を展開。これによりシーズンなかばでの活動中止を免れ、新音楽監督クラウス・マケラとの関係を深める貴重な機会を得た。同じくパリのオペラ・バスティーユ(フランス国立歌劇場)は、ワーグナーの『ニーベルングの指環』四部作の演奏(コンサート形式)を無観客で実現させた。これは音楽監督フィリップ・ジョルダンの任期の最後を飾るプロジェクトとして、かねてから取り決められていた企画で、ラジオ・フランス傘下のクラシック音楽放送局「フランス・ミュジーク France Musique」が全公演を録音した。幸運にもこの非公開の公演に招かれ取材した筆者は、歴史的瞬間に立ち会っているのだと身にしみて感じた。このとき目の当たりにしたパリ国立オペラ座管弦楽団の熱意を、一生忘れることはないだろう。

 パリ以外の各地の劇場もさまざまな機転をきかせ、アイデアを競い合った。たとえばジュネーヴ大劇場がヤナーチェクのオペラ《マクロプロス事件》を取り上げたさいには、事前に録音されたオーケストラの演奏が、ピットに置かれた多数のスピーカーから流された。これに合わせて、ピットに立つ指揮者と舞台上の歌手たちがオペラを上演したのである!

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 コロナ禍をきっかけに、フランスの地方オーケストラがより多くの聴衆に働きかけるチャンスを得たことも、また事実である。じっさい、トゥールーズ、リヨン、ストラスブール、モンペリエ、メスから、かつてないほど多くの公演がウェブを通じて世界に届けられた。継続は力なり――オーケストラには、スポーツ・チームと同じように、たゆみない合同トレーニングが必要不可欠である。「オーケストラは、ボタンを押していったん電源を切り、再び電源を入れられる機械とは違う」と、フィリップ・ジョルダンも力説している。だが、公的支援を受ける常設の楽団が演奏の火を燃やし続けるいっぽうで、多数の自主運営のオーケストラやアンサンブル――とりわけ古楽団体――は、より困難な状況に置かれている。彼らには固定給は保証されていないし、楽団の収入はツアーに大きく依存しているからだ。そうこうするうちに、ロンドン交響楽団を去ることを公にしたサイモン・ラトルは、ミュンヘンのバイエルン放送交響楽団のシェフに就任することを発表し、ドイツ国籍を求めた。これは明らかに、英国の文化政策の欠如に対する強い抗議である。とはいえラトルは、ロンドン交響楽団を見捨てたわけではない。ラトルの指揮のもと、彼らの音楽拠点「LSOセント・ルークス」にて―楽員間で最大限のソーシャルディスタンスを取って―収録された公演は、ネット配信され、多くの音楽ファンを魅了している。

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 2021年6月以降、有観客の演奏会が目立ちはじめた。さまざまな制約や楽団ごとの違いはあるにせよ、オーケストラ界全体には少しずつ「日常」が戻ってきている。マスク着用、対人距離の確保、コロナウイルス検査、ワクチン接種などの感染対策に関しては、それぞれの組織が多様なスタンスをとっている。ミュンヘンでは、検査を拒否し無給の停職処分を受けた演奏家が、バイエルン国立歌劇場を提訴した。当然ながら、既存の法律で容易に対処できる問題ではない。他方、ワクチン接種率の向上を背景に、大半のオーケストラが通常編成での演奏会を再開している。一例を挙げておくと、今年7月にエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で《トリスタンとイゾルデ》が上演された際には、74名の器楽奏者がオーケストラピットに入った。マーラーの交響曲の室内楽版を12名の奏者が演奏したり、あちこちのオーケストラがR.シュトラウスの《メタモルフォーゼン》を取り上げたりする時期は、どうやら過ぎ去ったようである。

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 現在、ヨーロッパのオーケストラ界が新たに直面しているのは、「旅」に付いてまわる種々の厄介事である。国ごとに異なる入国規制のせいで、オーケストラの演奏旅行の手配は今までになく複雑になっている。それゆえにフィルハーモニー・ド・パリは、2021/2022 年シーズンの公演プログラムをまだ半分しか発表できずにいるし、以降のシーズンにいたっては、さらに先行きが不透明な状況である。とはいえ、彼らを横目に離れ業をやってのける主催者たちもいる。なかでも、今年 8 月にラ・コート・サン=タンドレで開かれたベルリオーズ
音楽祭は、監督のブルーノ・メッシーナの奔走により成功をおさめた。彼はフランスの首相官房と直談判し、来仏するヴァレリー・ゲルギエフとマリインスキー歌劇場一行のために特別入国許可証を勝ち取ったのだ。さらにメッシーナは、帰国直後の自主隔離などを考慮し、ジョン・エリオット・ガーディナー率いるオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックのために、ロンドン間はチャーター便まで手配したのだった。ヨーロッパのオーケストラ界、そして音楽界は、刻々と変化する「ウィズ・コロナ」の時代を生き抜くべく、模索を続けていくことになるだろう。

訳:西 久美子


クリスティアン・メルラン
フィガロ(仏)音楽評論主幹
1964 年パリ生まれ。ソルボンヌでワーグナーの楽劇及びウィーン・フィルの歴史の研究により博士号を得る。ディアパゾン、LʼAvant-Scène Opéra などの専門誌にも寄稿、ラジオ「フランス・ミュジーク」のプレゼンターでもある。『偉大なる指揮者たち』(ヤマハミュージックメディア)、『オーケストラー―知りたかったことのすべて』(みすず書房)ほか、ワーグナー、20 世紀の指揮者に関する多くの著作がある。